ほのぼのログ。気分や log cα

人生万事塞翁が馬。ほのぼのログに癒されながら人生を豊かに、暮らせるように頑張ってみたり頑張らなかったりしてほのぼの思ったこと言いながら、生きるってなんだろうって思ってくらしてます。

今だから思うこと、伝えることを怖がらないで。

今だから言えることだとか今ならって割り切れることって沢山ある訳だけど(その分過去の時点での反省、羞恥、後悔があるということを同時に知らしめられるわけでもあるが)、それらの事柄を言えること、言葉にできることにだって素晴らしさを見いだせるのでは無いか、と、あくまでも推測に過ぎない訳だが。
実際にあったことを今すぐ、過去、という時間の系列を別物として考えてみれば、それをそのままことばにして言うことはいとも簡単であるかのように錯覚するだろう。人によって聞いた時に背景に浮かぶ情景、描写は全く同じではないだろう。実際のところその人が言ったことが数人に伝わった時実際に経験がある人が多いだろうが、情報が上乗せされ、事実であることは確かだが関係ないものと結びついたり、全く異なる推測や意見が載せられて帰ってくる。それを遺憾だと感じた人も多いに違いない。

これだけではないが、踏まえて、果たして今だから言えることだといって振り返ることも、美化され、すなわち、関係ないものと結びついたり、全く当時とは違う意見、推測が上乗せされたものだろうか。そうではなくそのものをそっくりそのままだろうか。

こんな話がある。

恋人と別れた時、その写真は消さない方がいい。
写真を消すといい思い出が後悔として残り、それでさえも、美化されるから。