ほのぼのログ。気分や log cα

人生万事塞翁が馬。ほのぼのログに癒されながら人生を豊かに、暮らせるように頑張ってみたり頑張らなかったりしてほのぼの思ったこと言いながら、生きるってなんだろうって思ってくらしてます。

懐かしむ行為に悪気はあるのか。

かしむ」という行為、このご時世では我々が経験したことのないことが毎日のように起こっている。無論、同じ日は来ないので毎日毎日新しいというとそこまだが。

 私たちが日常だと思って過ごしてい日々は今やどこへ、二度と同じ日が返ってこないのだろうか。そんな不安を募らせる毎日ではある。もちろんこの我々が経験してきた日常とは思えない今の日常の中で新しいことや、今まで通り、我々が思う平然としたあの日常を思い出し、少しでもそれに近づくように努力する日々だ。

 帰省、という我々が普通にしていた行為までをも制限をかけるとなると非常にまずいと思う。私自身この休みを利用して自自分の故郷を思い出し、「帰省」するつもりだったのである。しかしながら帰るという行為を間接的に禁止されているし、万一のことがあってはならないと今回の帰省は断念した。

 前置きが長くなってしまったが私の故郷では、全国にも誇れるほど非常に大きなイベントが夏に開催される。あいにく私が故郷にいられる最後の時となった昨年も開催は中止となった。それを思い出しそのイベントで必ず流れる曲を聞いてみた。無性に帰りたくなった。何が何でも帰りたくなる。あの時のあの思い出を探しに。。。

 自分は割と「過去を顧みず、未来へ進む」といったスタンスで様々なことを行ってきたが、今まさに過去を顧みている。これは悪いことだと思う時期もあったのだが、過去を顧みることで一時的に心が豊かになったり、ふと思い出し、笑顔になれることもあるのだ。帰る場所を求めて、決して過去を顧みることが悪いことじゃないんだな。と感じた。過去を顧みすぎている、のではなく、心持を上げるために、そのためだったら顧みてもいいと思う。過去を顧みることで反省を見つける、そのためだったらいい。とは思ったけど、そうじゃなく、いい思い出に浸ってみるこれでいろんなことを我慢できるのだな。とか。様々なことを感じた。 

 過去を顧みるのにも目的があり、未来を見つめるのにも目標や目的がある。人間、そのバランスで今という過去になるものを過ごし、次の過去を作りに未来に進んでいるんだなと少しばかり思ってみた。そんな一日でございました。

 

 かえりたい。