批判をする価値批判をされる価値
無知である我を知ることこそが知であると。
現代社会における批判は心なく、また、非常に軽率で論理性に欠けるものが多いのではないかと感じる。
日本人が批判に対するプロフェッションなのか。とも思う。
しかしながら批判されることは決して悪いことではないことである。
批判を意見であると同値にし、参考にし、受け入れる。可、不可といった評価的な感情をなくして受け入れるのである。ただその意見として取り入れることでさえもできないほどに軽率で不憫である。遺憾だ。
とでも言っておこう(本心ではないが)
批判する側というものは簡単である。相手が予期しないまたは自らが不適切であると思ったことがらに対して自らの意見を添えて批判するのである。相手の事情などを考えずに ということである。
いずれにも価値があって、
いずれにも考えがある。
そのいずれも””おさない””のである。